つながりの未来論

デジタル・エコシステムにおける「つながり」の多極化:個人の社会関係ポートフォリオ形成に関する社会学的考察

Tags: 社会学, つながり, デジタル社会, 社会関係資本, オンラインコミュニティ, ポートフォリオ

はじめに:変容する「つながり」と社会関係の複雑性

現代社会における「つながり」のあり方は、デジタル技術の急速な発展と浸透により、質的・量的に大きな変容を遂げています。インターネットの登場以来、コミュニケーションの地理的制約は緩和され、ソーシャルメディア、オンラインコミュニティ、バーチャル空間など、多様なデジタルプラットフォームが個人の社会生活に深く根差すようになりました。これにより、かつては主に地理的近接性や所属組織によって規定されていた社会関係は、より分散的で多層的な様相を呈しています。

このような状況下では、個人は単一の安定したコミュニティに深く根差すというよりも、むしろ複数のデジタルおよび現実空間において、異なる性質や強度の「つながり」を同時に維持・構築しています。これは、従来の社会学が共同体(Gemeinschaft)と利益社会(Gesellschaft)の対比や、強いつながりと弱いつながりの議論などで捉えようとしてきた社会関係のフレームワークだけでは、その複雑性を十分に捉えきれないことを示唆しています。本稿では、現代のデジタル・エコシステム下で進行する「つながり」の多極化現象に注目し、個人が複数の場で形成する社会関係の集合体を「社会関係ポートフォリオ」という概念を通じて捉え直し、その形成メカニズム、特徴、そして個人および社会システムに与える影響について社会学的な視点から考察を進めます。

デジタル・エコシステムと「つながり」の多極化

デジタル・エコシステムとは、様々なデジタルサービスやプラットフォームが相互に関連し合い、利用者の行動や情報を循環させる複雑な環境を指します。このエコシステムの中で、個人は多様な形で他者と「つながる」機会を得ています。例えば、FacebookやX(旧Twitter)のような広範なソーシャルメディア、特定の趣味や関心を共有するオンラインフォーラムやDiscordサーバー、オンラインゲーム内でのギルドやチーム、さらにはメタバースのような仮想空間でのインタラクションなどが含まれます。

これらのデジタル空間における「つながり」は、それぞれ異なる特性を持っています。一部では現実世界での人間関係を反映・補強する形で利用される一方、完全に匿名でのインタラクションが中心となる場もあります。関係性の強度も様々であり、日常的に密なコミュニケーションを取る関係から、特定の情報交換のためだけの一時的な関係、あるいはインフルエンサーとフォロワーのような非対称的な関係までが存在します。

このような多極化は、単にコミュニケーションチャネルが増えたという以上の意味を持ちます。個人は、自身の様々な側面(職業人、趣味人、特定の社会問題に関心を持つ市民など)やニーズに応じて、最適な、あるいは利用可能なデジタル空間を選択し、そこで関係性を構築しています。W.E.B. Du Boisの「二重意識」ではないですが、デジタル空間における多極化は、個人が社会の中で複数の自己を使い分け、それぞれの場で異なる「つながり」を形成することを可能にしていると言えるでしょう。これは、Georg Simmelが指摘した「社会的な環」の多様化・重層化が、デジタル技術によって極めて加速された状態とも解釈できます。

個人の「社会関係ポートフォリオ」:概念と特徴

こうした多極化された「つながり」の集合体を理解するための概念として、「社会関係ポートフォリオ」を提案することができます。これは、金融におけるポートフォリオが複数の資産の組み合わせであるように、個人がデジタルおよび現実空間において保有・維持する多様な社会関係の総体とその構造を指します。このポートフォリオは、強いつながり(家族、親友など)と弱いつながり(知人、同僚、オンライン上の緩やかなフォロワー関係など)の組み合わせであり、また、リアルの関係、匿名のオンライン関係、特定の関心に基づく関係など、性質の異なる「つながり」を含んでいます。

社会関係資本論の観点から見ると、このポートフォリオは個人がアクセス可能なリソース(情報、支援、機会など)の源泉となります。Pierre Bourdieuによれば、社会関係資本は「安定した制度的関係、すなわちお互いを認知しあうか、あるいは認知しあうことが予想されるような、多かれ少なかれ制度化された関係として存在するつながりにもとづく、現実のあるいは潜在的なリソースの集合」です。デジタル・エコシステムにおけるポートフォリオは、この「リソースの集合」を、従来の対面や単一の所属組織に限定されない、広範で多様なネットワークへと拡張する可能性を秘めています。

社会関係ポートフォリオの特徴として、以下の点が挙げられます。

  1. 多様性(Diversity): 関係性の性質、強度、機能、利用するプラットフォームなどが多岐にわたる。
  2. 流動性(Fluidity): ポートフォリオ内の個々の関係は、現実の人間関係に比べて形成・解消が比較的容易な場合があり、常に変化しうる。
  3. 部分最適化(Partial Optimization): 個人は特定の目的(情報収集、感情的サポート、娯楽など)に応じて、ポートフォリオ内の異なる「つながり」を選択的に利用する傾向がある。
  4. 非統合性(Non-integration): ポートフォリオ内の異なる「つながり」やアイデンティティは、必ずしも互いに統合されておらず、意図的に分離されている場合がある。

これらの特徴は、個人の社会関係が以前よりも「管理」や「運用」の対象となりうることを示唆しています。

ポートフォリオ形成の要因と個人・社会への影響

社会関係ポートフォリオの形成は、個人の主体的な選択だけでなく、様々な要因に影響されます。個人のライフステージ、職業、興味関心、デジタルリテラシーといった属性はもちろん、利用するプラットフォームのアルゴリズムや設計、現実世界での社会経済的状況などが複雑に関係します。例えば、特定の趣味に深く没頭する個人は、関連するオンラインコミュニティに多くの時間を費やし、そこで強いつながりを築く可能性があります。一方で、孤独を感じている個人が、手軽に承認欲求を満たせる匿名性の高いプラットフォームに依存する傾向も指摘されています。

このようなポートフォリオの構造は、個人に多様な影響を与えます。肯定的な側面としては、ニッチな関心を満たす関係性の構築、地理的制約を超えた多様な人々との交流、異なる視点の獲得、新しい機会(仕事、学習、趣味など)へのアクセス拡大などが挙げられます。弱いつながりの重要性を指摘したMark Granovetterの研究を敷衍すれば、デジタル空間における多様な弱いつながりは、個人に予期せぬ情報や機会をもたらす可能性を秘めています。

しかしながら、負の側面も存在します。複数の「つながり」を維持することによる認知負荷の増大、異なる関係性間での役割葛藤やアイデンティティの混乱、情報過多やフェイクニュースに曝されるリスク、オンライン上での誹謗中傷やプライバシー侵害の問題、そして、デジタル空間での活動が現実世界の孤独感を必ずしも解消しない、あるいはむしろ増幅させる可能性などが挙げられます。また、デジタルデバイドやプラットフォーム間の格差は、個人が多様な社会関係ポートフォリオを形成する機会の不均等をもたらし、既存の社会格差を再生産する恐れもあります。エコーチェンバーやフィルターバブルといった現象は、ポートフォリオ内の情報源や意見の多様性を損ない、社会的分断を深める可能性も指摘されています。

社会全体としては、社会関係ポートフォリオの多極化と流動化は、従来の地域コミュニティや職場といった安定した基盤に基づく社会連帯を弱体化させる一方で、共通の関心や価値観に基づく新しい連帯(液体状の連帯 - Zygmunt Bauman)を生み出す可能性を秘めています。公共圏のあり方も変化し、物理的な空間だけでなく、デジタル空間における多様なグループやネットワークが、議論や世論形成の場として機能するようになっています。

結論:社会関係ポートフォリオの探求に向けて

現代社会における「つながり」は、デジタル・エコシステムの中で多極化し、個人は複雑な「社会関係ポートフォリオ」を形成・維持しています。このポートフォリオ概念は、単なるオンライン/オフラインの二元論や、強弱のつながりといった単純な分類では捉えきれない、現代の社会関係の多面性を理解するための有効な視点を提供します。

社会関係ポートフォリオの分析は、個人のウェルビーイング、アイデンティティ形成、機会構造、そして社会全体の統合性や分断といった広範な社会現象を考察する上で重要な示唆を与えます。今後は、個人のどのような要因がポートフォリオの構造を規定するのか、異なる性質の「つながり」は互いにどのように影響し合うのか、そして、このポートフォリオが個人の社会関係資本にどのような影響を与え、それがどのように活用・変換されるのかといった点について、さらなる実証的・理論的研究を深める必要があります。

また、デジタル空間における信頼の構築、規範の形成、プライバシーとセキュリティの確保といった問題も、健全な社会関係ポートフォリオの維持にとって不可欠な要素です。デジタル・エコシステムが不可逆的に進行する中で、私たちは、個人がより豊かでレジリエントな社会関係ポートフォリオを構築し、同時に社会的な包摂と連帯を維持・強化するための方策を探求し続けることが求められていると言えるでしょう。